袴田さん 東京拘置所から釈放
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大学生の頃に死刑存廃論で論文を書いたときに袴田事件を知った。
つい、記憶の奥隅に忘れれていた事件だった。。。
我が国には再審で無罪となった事件が数多くある。
人間は神ではないので、真実は犯人にしかわからない。
それでも、できる限り真実を見つけ出せるように、人類が失敗の中から学んで得たものがあった。
それが、公判における当事者主義であり、弾劾主義であり、証拠法における諸原則である。
これらの主義や諸原則は、ある意味、私たち国民に過酷なことを強いることを忘れてはならない。
それは、
100人の真犯人を逃がすことより、1人の無辜の犯罪者をつくらないことだ。
裏を返せば、
限りなく黒に近いグレーな者を、ほとんど無罪としてでも、
無実の者を処罰しては行けない
ということだ。
警察や検察の責任を叫ぶ気持ちはわかる。
私もそのひとりである。
ただ、それだけでは済まされない問題がここにはある。
世論である。
一家四名が殺された時の激情化した世論と、遺族の復讐感情が、いち早く事件を解決し、犯人を吊るすことを強烈に迫っていたことを忘れてはならない。
後で、それは間違えだったというのは容易い。
真珠湾攻撃だってそうだろう。後になってあれは間違えだったと言うのはアホでもできる。
しかし、世論がアメリカへの宣戦布告を切望し、マスコミもそれに便乗し、止むにやまれぬ状況で戦争に突入した事実を、単に東条英機一人の責任にできないのと同じように、、、、
我々は神ではないので、過ちをおかしてしまうもの。
ただ、後になって世論が冷静になれば、違った判断ができるときがくるかもしれない、、、この微かな望みにかけたのが今回の袴田事件の異例さだと、私は思う。
つまり、これだけ長きに渡り死刑執行書に大臣がサインしないということは、そういうことである。
かりに、袴田事件が冤罪事件であれば、
これほど不正義なことはないだろう。
冤罪事件は、3つの不正義を生む。
1つは、冤罪により無辜の被告人の大切な時間と命が奪われるという不正義
2つは、真犯人が処罰されず世に放たれたままという不正義
3つは、捜査機関・司法機関への国民の信頼が揺らぐという不正義
冤罪は、絶対にあってはならんのです。